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構成主義について

  • j20195547m
  • 2021年3月9日
  • 読了時間: 5分

大学院での2年間を振り返ってみると、実にいろいろな学びを得たと思うが、自覚しているもの、していないものが、とりあえず放り込んだかごの中のように混然と存在している。


まだきちんと整理はできていないが、これから現場に戻って、個別の事象に当たるたびに、このかごの中のどこかに光が当たって引っ張り出されるような予感がある。


数ある収穫物の中でここでは1つを取り上げてみることにする。


それは構成主義というものについてである。


教育を考えるうえで、よって立つ考え方の枠組みとしてのパラダイムがとても大事になってくることを後に知ったが、これまで私はパラダイムなんてあまり真剣に考えたことがなかった。


あるゼミで先生との対話の中で、私はこんな風な内容のことを言った。

「いろんな指導方法が主張されているが、どれが本当かわからなくなる」


これに対して先生はこんなことを言った。

「地域,子ども,自分自身,すべて文脈に依存し,不確定要素だらけの中で子どもに向き合う。そのような状況の中で,固定化した指導法が何にでも通用するわけではない。自分がどう思うか。自分が素直に自然体になれるような指導観を持つこと。」


指導方法に対する確固たる答えを見つけたいと焦っていた私は、大きな気づきを浴びてしばらくきょとん、としていたと思う。


「すべては文脈に依存する」というような考え方を、構成主義と呼ぶらしい、と知った私は、以後それについて模索することになった。


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構成主義に対する概念として客観主義というものがあり、

対比してすこし整理してみたい。


(とても簡単にまとめてしまうので、的確ではないかもしれません)


客観主義というのは、

「人間の外側に唯一の真理が存在する」

と捉える考え方のことであり、

構成主義というのは

「真理はそれぞれの人間の心の中で形作られる」

と捉える考え方である。


この2つのパラダイムで教育を考えてみると、

下のようになる。



客観主義的教育

・「教える」に重点

・知識は現実場面から切り離され,細分化されて与えられる

・教授内容を分析,構造化

・教師から生徒への知識・技能の伝達を効率的に行う

・学習者は「受動的・白紙状態」

・教師の役割は「いかにうまく教えるか」


構成主義的教育

・「学ぶ」に重点

・知識は人間の個人的な体験や属する文化などと切り離せない

・学習とは学習者自身が知識を構築していく過程

・学習は他者との相互作用を通じて行われる

・学習者は「主体的で有能」

・教師の役割は「いかに学びを支援するか」


指導方法に対する確固たる答えを見つけたかった私は、

「自分の外側に確固たる唯一の指導方法がある」という、

客観主義的な考え方だったということになる。


構成主義的に考えれば、

「その場その場の状況に応じて、指導方法を考える」ということになるのだろう。


構成主義の教育における学習方法の選択について、

久保田(2000)はこのように言う。


「どの学習方法を選択するかは,学ぶ内容の必要性と,教師と学習者とのダイナミックな関係性から浮かび上がってくるものである。学習者自身が学びたいという思いをどれだけ大切にできるかということの方が,学習方法よりも重要なのである。(中略)

 構成主義の学習では,「学びの共同体」への所属意識と,その中で学べる喜びを共有することが学びの出発点となっている。学ぶ意味がつかめれば,学び方は多様であって良い。」


文章中の「学習方法」や「学び方」を「指導方法」に置き換えてみれば、先の対話で言われたことにそのまま重なってくる。



さらに久保田(2003)はこう言う。


「実証主義は発展のための明確な目標と道筋を示し,それに向かって努力することで目標を達成できるという信念が土台となり,それが近代を形成してきた。しかし21世紀に入り,複雑性,不確実性,多様な価値の時代を迎え,構成主義という新しい哲学が必要になってきた。世界には多様な<現実>がある。その1つ1つの<現実>を大切にしていく社会を作っていかなければならない。これは構成主義の哲学に基づいた社会を21世紀に作り上げていく一つの社会運動とみなすこともできる。」


ここで言う「現実」は、学校においては「子ども」と置き換えられるかもしれない。


社会の多様な子どもを、一人ひとり大切にしていく社会を目指さなければならない。


さまざまな指導方法が主張されているが、時代の大きな流れから考えると、一定の方向性が見えてくる。


我々は、「構成主義の哲学に基づいた社会作り」という大きな方向性の中で、様々な指導方法を、状況に応じて選び取っていく。

どれが「唯一絶対」はなく、全てが構成主義的な社会を創造するための考え方のうちの一つであり、迷いながら状況と共に判断していくことが求められている。


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こう考えると、答えが見つけられずに迷う自分への焦りが薄れ、少しは泰然とした心持に近づけそうな気がしてくる。


明快な答えを得ることが学びだと思っていたけれども、そのようなものは自分の外部にはなく、自分の中で迷いながら作っていくものだということを学んだ。


もやもやを解決したくてもやもやしていた状態から、

もやもやをもち続けることこそが道かもしれない、と納得した状態に変わった。


こう考えてくると、私は大学院に来て、

自分のもつ「パラダイム」を多少なりとも自覚し、

客観主義的な考えから構成主義的な考え方への変化の兆しを

経験できたようだ。


これは自分自身の教育観・人生観に関わる、大事な経験だったように思う。


当然考え足りていない部分は多いので、これからも、もやもやと問い続けたい。



そしてもう一つ。


このような学びのすべては、私を取り巻く状況のおかげであるということ。


貴重な学びをくれたすべての皆さんに感謝します。


ありがとうございました。


そして、これからも、よろしくお願いします。





<参考文献>


久保田賢一(2000)構成主義パラダイムと学習環境デザイン 関西大学出版部


久保田賢一(2003)構成主義が投げかける新しい教育 コンピュータ&エデュケーションVOL.15


                                                      (むらさん)

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